甲子園のヒーローから読売ジャイアンツ、MLBで活躍し、日本が誇るベースボールプレイヤー松井秀喜さん。恵まれた体格・打撃力から「ゴジラ」の愛称で親しまれました。
人柄も素晴らしく、その考え方や行動に感銘を受けるファンも多いですね。
アメリカで引退後は日本球界での監督としての活躍が熱望されていますが、まだその実現には至っていません。
今回は松井秀喜さんについて調べてみました。
目次
松井秀喜の現在
・読売ジャイアンツ (1993〜2002)
・ニューヨーク・ヤンキース (2003〜2009)
・ロサンゼルス・エンゼルス (2010)
・オークランド・アスレチックス (2011)
・タンパベイ・レイズ (2012)
2015年より古巣のニューヨーク・ヤンキースのGM付特別アドバイザーとして活動しています。松井さんは現在もニューヨークで家族と暮らしていて、マイナーリーグのチームの練習に足を運び、選手の指導に精を出しています。
2018年11月に行われた日米野球で、米大リーグ(MLB)オールスターチームのベースコーチを務めていたことが記憶に新しいですね。ヤンキースのユニホーム姿でノックを行う姿が見られました。
松井さんは2002年オフに読売ジャイアンツからメジャーへ移籍、ヤンキース時代にはワールドシリーズMVPに日本人選手で初めて選ばれました。2012年にアメリカで現役を引退し、2013年には長嶋茂雄さんと共に国民栄誉賞を受賞し、師弟受賞と話題になりました。
日本球界への復帰の期待が高いですが、いまだ活動の拠点はアメリカです。
松井秀喜の現在の仕事は?
ヤンキースのGM付特別アドバイザーとして活動している松井さん、仕事の内容としてはマイナーの巡回コーチとマイナーの選手の状況をGMに報告することです。ヤンキー・スタジアムで行われる球団の幹部会にも出席するなど重要なポジションのようです。
球団外でも2015年にNPO法人を立ち上げ、日米で子供向けの野球教室を開催しています。後輩の育成と未来の選手の育成という慈善事業、多忙な日々を送っています。
現役引退後も日米の野球の発展のために尽力する松井さん、野球へのひたむきな思いは年齢を重ねても色あせないのですね。素晴らしいことです。
松井秀喜の現在の収入は?
ヤンキースGM付特別アドバイザーとして得られる報酬ですが、4,000万円~5,000万円と出ていますね。
これに加えてメジャー球界の年金が年間2,000万ほど支給されるようです。合わせると7,000万円位の収入は得られることになります。
現役を退いても安定した収入が得られるとは羨ましい限りですが、厳しい勝負の世界で切磋琢磨してきた松井さんですから妥当なことと言えるでしょう。
ちなみに選手登録が10年以上で満額受給の有資格者は、野茂秀雄・松井秀樹・大家友和・イチローの4名レジェンド級の活躍を見せた4名のみです。やはり人並外れた才能の持ち主ばかりですね。
松井秀喜は日本に在住?
「家族として、(子供を)育てるには最高の環境だと感じています。僕らがまさに楽しみにしていたものです。」
現役引退後、松井さんはご家族とニューヨークで暮らしています。日本で暮らすより静かな生活が送れるという理由から帰国していません。
日本で仕事がある時には帰国していますが、生活の拠点はアメリカです。
昨年、高橋由伸監督が読売ジャイアンツの監督を辞任した際には「松井が巨人軍監督に!」というファンの願いがありましたが、原辰徳監督の三回目の監督就任が決まりました。
ただ、昨年から巨人戦の解説者としてテレビに出演したり、日本での仕事が増えてきているということもあり、近い将来「松井監督」が誕生するかもしれませんね。
技術のみならず人柄も良い松井さんが日本球界を盛り上げてくれる姿を再び見たいですね!
松井秀喜の子供時代
出生時の体重が3960gとビッグサイズだった松井さん、小学校1年生の時に兄が所属する野球チームへ入部します。
しかし、まだ1年生、野球のルールも監督の指示も理解出来ず、ここで一度退部します。そして小学校5年生の時に再び野球を始め、ここからゴジラ伝説は始まります。
野球から離れている間に柔道を始め、石川県第3位・国体強化選手に選ばれます。また相撲も強かったそうです。
スポーツ万能のイメージが強い松井さんですが、3,4歳頃から始めたピアノは小学校4年生で兄と「マイ・ウェイ」を連弾するほどの腕前だったそうです。
多彩な才能を持つ松井さん、やはり幼い頃から大物感がありますね。
松井秀喜はなぜ左打?
子どもの頃の松井少年は元々右打ちであったが、あまりにも打球を飛ばすために野球仲間であった3歳上の兄とその友人が、松井を打てなくする目的で強引に左打ちにさせた。
松井さんはもともとは右打ちだったのですね。左打ちでもあれだけ打つのに利き手の時にはどれほどすごかったのでしょう。
阪神タイガースファンだった松井さんは、尊敬する掛布雅之選手と同じ左ということもあり、左打ちに変更し、その後、左打者として有名になりました。人生の転機はどこにあるのかわからないものです。
筆者も初めて知りましたが、野球では左打者のほうが有利だそうです。右打者よりも一塁ベースに近く、内安打になる確率が高い、また右投げの投手が多く、左打者の内側に向かって入ってくるボールの軌道になり打ちやすいと利点があるようですね。
甲子園でも伝説的敬遠とは?
今大会屈指の好打者といわれた星稜・松井が5打席全部敬遠の四球で打たせてもらえなかった。
1992年、夏の甲子園で松井さんは5打席連続して敬遠されました。2回戦明徳義塾高校が対戦相手です。松井さんは一度もバットを振らせてもらえず、星陵はまさかの2回戦敗退でした。
優勝候補の一角として注目されていた星陵、松井さんはすでに秋のドラフト会議の有力候補の一人でした。別格の大物選手がいる星陵に勝つために取った作戦でしたが、当時はマスコミも取り上げて大騒ぎになりました。
「勝てばいいのか?」という勝利至上主義について様々な議論が起こった事件でした。
まとめ
以上、松井秀喜さんについてまとめてみました。
- 松井さんは現在、ヤンキースのGM付特別アドバイザーとして活躍しています。
- 松井さんはご家族とアメリカ・ニューヨークで生活されています。
- 松井さんは少年時代は右打ちでした。
松井さんは取材対応の良さ・人柄の素晴らしさでも評価の高い方です。野球を愛するファンや子ども達もいつかは日本球界で活躍される松井さんの姿を望んでいることでしょう。そんな日が来るように筆者も願うばかりです。
最後まで読んでいただきたきありがとうございました。